松平正恒
松平 正恒 (まつだいら まさつね) は、江戸時代前期から中期にかけての越前国福井藩家老。福井藩高知席松平家3代、5代当主。 略歴松平正詮の子として誕生。幼名金蔵。通称主馬。 延宝5年(1677年)新知行1000石を賜る。元禄2年(1689年)1000石加増され家老となる。元禄9年(1696年)父・正詮の死去により家督と知行3000石を相続。宝永6年(1709年)隠居して家督を嫡男・正村に譲る。正徳2年(1712年)に正村が37歳で先立って没し嫡男金蔵(正明)が幼いため再家督する。享保7年(1722年)藩主昌平(松平宗昌)の家督相続の御礼言上の際に、8代将軍・吉宗に拝謁する。 享保9年(1724年)死去。家督は嫡孫・正明(正般)が相続した。 逸話7代藩主・松平吉品が茶亭を建設しようとしていることを聞き、将軍家に対して憚りがあると強く諫言して中止させている。 藩主が発駕、帰城の際に正恒が家臣を代表して挨拶するのが通例であった。例えば、参勤交代のため藩主が発駕した際には、大広間に家臣一同席に付き、正恒が「今日は、御機嫌よう御発駕遊ばされ、御同時に恐悦に存じ奉る」と挨拶して一同が退出した。 参考文献
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