松平宣助

 
松平宣助
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 明暦元年7月3日1655年8月4日
別名 通称:内蔵允
主君 徳川頼宣
紀州藩
氏族 久松松平家
父母 父:松平康元
兄弟 忠良政良康久宣助、洞仙院、
流光院、満天姫、久松院、
大須賀忠政正室、浄明院
元暉、七
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松平 宣助(まつだいら のぶすけ)は、江戸時代前期の紀州藩士。通称は内蔵允。

略歴

松平康元徳川家康の異父弟)の四男として誕生。兄に大垣藩主の忠良天正10年(1582年)生まれ)、徳川忠長家臣の政良徳川義直家臣の康久がいる。

娘の七は徳島藩一門・蜂須賀隆矩に嫁ぎ、5代藩主・綱矩を生んだ。

従兄弟の紀州藩徳川頼宣に仕えた。

寛永18年(1641年)切米200石。正保3年(1646年)地方知行500石。慶安元年(1648年)800石加増。城代を務めた。

明暦元年(1655年)7月3日死去。家督は嫡子九郎左衛門元暉が相続して大番頭を務めた。孫の3代図書元明以降、家の由緒により藩の高家に列した。

参考文献