松山新田藩(まつやましんでんはん)は、江戸時代中期にあった伊予松山藩の支藩である。
石高は1万石。久松松平家4代松平定直の子定章が享保5年(1720年)に桑村郡と越智郡の一部を新田分知されて立藩した。定章の後は嫡子の定静が遺領を相続したが、明和2年(1765年)2月になって伊予松山藩7代藩主松平定功の養嗣子となり、本藩藩主家を継承することになったため、新田藩も本藩に吸収されるかたちで廃藩となった。
親藩 1万石 (1720年 - 1765年)