松原喜之次松原 喜之次(まつばら きのじ、1895年2月18日 - 1971年11月13日)は、日本の政治家である。 来歴・人物大阪府南河内郡黒山村出身[1]。1922年(大正11年)、京都帝国大学経済学部卒業[1]。桃山学院中学校の英語教諭、大阪府立黒山実業学校の教頭などを経て、経済界に転身した。神国海上火災KK(日本興亜損害保険の前身会社)、大阪タクシーKK、大阪メーターKK等を経て1946年(昭和21年)、日本社会党に入党、日本社会党大阪府連合常任執行役員となる。 1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙で大阪第3区より衆議院議員に初当選、日本社会党中央委員に就任。大阪メーターKKを退職。1950年(昭和25年)東京相互タクシーKKを設立し、代表取締役に就任。1952年(昭和27年)第25回衆議院議員総選挙で当選、衆議院鉄道建設審議会委員となる。1953年(昭和28年)第26回衆議院議員総選挙に再当選、1954年(昭和29年)日本社会党大阪府連合委員長に就任。 1955年(昭和30年)第27回衆議院議員総選挙に再選、衆議院大蔵委員長に選任される。また光和産業KK、オート工業KK等も創立、役員として東京タワー建設計画にも奔走した。1958年(昭和33年)東京相互タクシーKK会長に就任。その後も、1960年(昭和35年)の第29回衆議院議員総選挙、1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に再選。しかし、このころ脳内出血で倒れ入院。1966年(昭和41年)の衆議院解散を期に政界からの引退を表明。1971年(昭和46年)4月29日、叙勲二等授瑞宝章。同年11月13日、死去。享年76。叙正四位。 出典
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