松下隆章
松下 隆章(まつした たかあき、1909年3月31日 - 1980年9月15日)は、日本の美術史家。中世日本美術を主として扱った。 経歴1909年、長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市)で生まれた。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、1927年に慶應義塾大学美学美術史学科に入学。1933年に卒業。 1934年より東京帝室博物館に研究員として勤務。1938年、鑑査官補に昇格。1944年、新たに開館した根津美術館に転出し、同館学芸員として勤務。1947年より再び東京国立博物館附属美術研究所に勤務し、絵画部門の文部技官として調査研究にあたった。1950年より文化財保護委員会美術工芸品課に勤務。1959年より美術工芸課長をつとめた。1969年に文化財鑑査官となり、国宝・重要文化財指定業務や保護にあたった。当時発生した永仁の壷事件の処理や、韓国文化財の返還などにあたった。 1969年、奈良国立文化財研究所所長に就任。1972年からは京都国立博物館館長。1978年に退職。1930年、神奈川県鎌倉市の自宅で死去。 委員・役員ほか
受賞・栄典研究内容・業績専門は日本美術史で、特に日本中世の絵画史。仏画や水墨画に多くの論文著書がある。 著作
参考文献
脚注 |