村国志我麻呂
村国 志我麻呂(むらくに の しがまろ)は、奈良時代の貴族。名は志賀麻呂とも記される。姓(カバネ)は連。贈外小紫・村国男依の子。位階は従五位上。 経歴文武朝の霊亀2年(706年)壬申の乱の功臣の子息に賜田が行われた際、志我麻呂は小依(男依)の子息としてこれに名を連ねた(この時の位階は従六位下)。元正朝の養老2年(718年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵する。 神亀3年(726年)聖武天皇の播磨国印南野(明美台地)への行幸にあたって、行宮を造営するために門部王・多治比広足らとともに造頓宮司に任ぜられた。天平3年(731年)に従五位上に至る。 官歴『続日本紀』による。
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