杉山新
杉山 新(すぎやま あらた、1980年7月25日 - )は、埼玉県春日部市出身の元サッカー選手。 来歴柏レイソルユースより1999年にトップへ昇格するも、4年間でリーグ戦6試合の出場に留まり、戦力外通告を受ける。2003年にヴァンフォーレ甲府へ移籍し、16試合に出場するも健康上の理由で一度は戦力外通告を受けた(1型糖尿病を発病)。しかし本人の希望によりテストが行なわれ、翌年以降も甲府でプレーすることが決まった。ニックネーム「甲府の黒豹」の通り、運動量と瞬発力が武器。なお、この時与えられた背番号"32"に愛着を持っており、9年間に渡って着用した。 2005年に右SBでレギュラーに定着。粘り強い守備と攻撃参加を繰り返す運動量を武器に、サイドからの鋭い攻め上がりでチャンスを作った。 J1・J2入れ替え戦出場資格である3位の座をかけた2005年シーズン最終節対京都戦のロスタイムに自陣ペナルティエリア付近でファウルを犯し、退場処分を受ける。PKか否かで試合が5分間中断したが、ペナルティエリア外のファウルと判定された。このとき2-1で甲府がリードしており、逃げ切れば3位がほぼ確定的であった。杉山は自責の念から涙ぐみながら退場。FKがポストを直撃して外れたのを見て涕泣し、その顔はテレビでも放映された。 古巣の柏レイソルが相手のJ1・J2入れ替え戦は、リーグ戦最終節の退場処分のため第2戦のみに出場した。同じく柏に所属していた長谷川太郎は硬くなって本領を発揮できなかったが、杉山は先制ゴールのアシストなど特筆すべき活躍をした。 2009年オフに甲府を退団し、2010年に大宮アルディージャへ移籍。埼玉県内でのプレーは小学生時代以来だという緑がある。 2012年に横浜FCへ移籍し、2013年からはFC岐阜に所属する。 2013年はシーズンを通してスタメンに定着。積極的に右サイドバックからアップダウンを繰り返す。11月、自身の闘病記とサッカーを綴った書籍『絶望なんかで夢は死なない “難病Jリーガー"杉山新、今日も全力疾走。』がイースト・プレスより刊行(ISBN 978-4781610467)[1]。2014年シーズン終了後、契約満了により退団[2]。 2015年2月、現役引退が発表された[3]。 2016年3月、関東サッカーリーグ2部のLB-BRB TOKYOに入団[4]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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