本願寺日高別院
本願寺日高別院(ほんがんじひだかべついん)は、和歌山県御坊市御坊にある浄土真宗本願寺派の寺院。別名日高御坊。京都市にある西本願寺の別院である。 歴史「湯川文書」などによると、天文年間、三好家との戦い(『紀伊続風土記』によると江口の戦い)に敗れた湯川直光は、本願寺の法主・証如の助力により亀山城への帰還を果たした[4]。直光はそれを謝して吉原浦(美浜町吉原)に一堂を建立し、次男・信春を出家させその住職にしたという[5]。 唯可と名乗った信春は、その後石山本願寺で証如に拝謁し、祐存という法名と証如の御影を賜った[6]。また、一私坊だった吉原道場は坊舎の号を許可され、吉原坊舎と称することとなった[6]。 天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州攻めで、吉原坊舎と湯川氏の居城・亀山城 は焼失した[7]。翌天正14年(1586年)、祐存は日高郡中の僧俗と力を合わせて薗浦の椿原に仮堂を建て、この仮堂は薗坊舎と呼ばれた[8]。文禄4年(1595年)、鷺森御坊の有力門徒である佐竹伊賀守[注釈 2]の尽力により、薗坊舎が薗浦・島村の地に移されて日高坊舎となる[9]。文政8年(1825年)、現存する本堂が再建され、1877年(明治10年)に本願寺日高別院の称を得た[10][11]。 御坊舎に因んで地名も御坊と呼ばれるようになり、御坊町(現在の御坊市)の起源となった[12]。以降、門徒を中心に人々が周辺に往来し町場が形成され、日高地方の商業の中心になった。町は日高別院を中心に西町・中町・東町に分かれているが、特に東町には現在でも土蔵屋敷が多く残り、近世の町並みを顕著に残している。 文化財
所在地〒644-0001 和歌山県御坊市御坊100 交通アクセス脚注注釈出典
参考文献
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