本隆寺
本隆寺(ほんりゅうじ)は、京都市上京区にある法華宗真門流の総本山の寺院。山号は慧光山。本尊は三宝尊。「焼けずの寺」という別称を持つ。 歴史寺伝によれば、妙本寺の日具に師事していた日真が、法華経の解釈について論争があって妙本寺を出て行き、長享2年(1488年)に四条大宮に当寺を建立したとする[1]。なお、同年に六角西洞院に草庵として建立され、翌延徳元年(1489年)に四条坊城に移ったとする異説もある[2]。 当寺は後柏原天皇などの支援を得て法運は隆盛したが、天文5年(1536年)に天文法華の乱が起きて伽藍は焼失し、堺に避難した[1]。その後、天文11年(1542年)に後奈良天皇が法華宗帰洛の綸旨を下したことにより、同年の春には当寺は京に帰還して杉若若狭守邸の跡地である現在地に再建がなされた[3]。また、天文11年(1542年)に帰洛後、一条堀川に再興され、天正12年(1584年)に豊臣秀吉の命で現在地に移転したとする異説もある[4]。 承応2年(1653年)に京都御所の炎上による大火[3]によって類焼し諸堂を失うが本尊は無事であった[1]。明暦3年(1657年)に本堂は名匠坂上作左衛門尉吉貞の手により再建された[3]。祖師堂も本堂と同じ頃の建立とみられる。 西陣では享保15年(1730年)と天明8年(1788年)に大火があり、本隆寺も一部類焼した。なかでも天明8年(1788年)の天明の大火では西陣一帯が焼け野原となったが当寺の本堂・祖師堂・宝庫は類焼をまぬがれた。このことから「焼けずの寺(不焼寺)」の別称がある[1]。 境内
塔頭
文化財重要文化財
京都市指定保存樹
年中行事
所在地
交通アクセス脚注注釈出典参考文献
外部リンク |