本藤恒松
本藤 恒松(ほんどう つねまつ、旧字体:本藤󠄁 恆松󠄁、1895年(明治28年)2月13日[1] - 1983年(昭和58年)3月19日[1][2])は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 経歴長野県上高井郡綿内村(現長野市若穂綿内)で生まれる[1]。綿内小学校を卒業[1]。酒造業を営む[2]。 1924年、北信農民組合の結成に関わる[1]。日本農民組合総同盟中央執行委員、長野県会議員、社会民衆党中央委員、社会大衆党中央委員などを務めた[1][2]。 戦後、日本社会党に入党し、同党長野県支部連合会常任執行委員に就任[2]。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に長野県第一区から出馬して当選し、その後社会革新党に所属して衆議院議員を一期務めた[2]。 その他、高畑殖産社長、三蔵酒造社長、全国清酒復活期成同盟会長、全国清酒復元期成同盟会長などを歴任した[1][2]。 脚注参考文献
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