本多 忠肇(ほんだ ただはつ)は、江戸時代後期の三河国岡崎藩の世嗣。
播磨国山崎藩主・本多忠鄰の四男として誕生。
宗家である本多忠民の養子となるが、家督相続前の慶応元年(1865年)に早世した。代わって、信濃国小諸藩から忠直が養子に迎えられ、嫡子となった。
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