本多 実方(實方、ほんだ さねふさ、1862年12月9日(文久2年10月18日[1])- 1924年(大正13年)10月23日[1][2])は、明治から大正期の警察官、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・禄之助[3]。
経歴
飯山藩主・本多助実の十四男[注 1]として江戸で生まれ、兄本多助順の死去に伴い、1873年(明治6年)11月7日、家督を相続[1][3][4]。1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した[5]。
1884年5月、警視庁御用掛に就任[1][3]。その後、同警部となる[1][3]。
1891年(明治24年)8月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、1897年(明治30年)7月9日まで在任[2]。さらに1911年(明治44年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され[8][9]、研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][10]。
親族
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』519-520頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』54頁。
- ^ a b c d 『華族畫報 下』601頁。
- ^ 『人事興信録 第6版』ほ36頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
- ^ 『官報』第2434号、明治24年8月10日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
- ^ 『官報』第8427号、明治44年7月25日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。