木村庄之助 (37代)
37代 木村 庄之助(さんじゅうしちだい きむら しょうのすけ、本名:畠山 三郎(はたけやま さぶろう)、1950年3月16日 - 2022年7月22日)は、大相撲の立行司の1人だった。高島部屋、熊ヶ谷部屋、大島部屋を経て引退時は友綱部屋所属。血液型はA型。 人物青森県上北郡六戸町出身。4代木村玉治郎(後の27代木村庄之助)に入門。高島部屋に預けられる。 1965年7月場所に、木村玉三郎として初土俵を踏んだ。1977年1月場所に、初名木村三治郎より5代木村玉治郎襲名。1989年1月に十両格に昇格、2001年1月に幕内格に昇格。2003年1月場所に10代木村庄三郎襲名。2007年9月に三役格に昇格。 庄三郎時代の2012年1月場所4日目、大関把瑠都に送り倒された小結若荒雄とぶつかり土俵から転落して頭部を強打して脳震盪の疑いで救急車で病院へ搬送されて精密検査を受けたが[1]、翌日には土俵に復帰した[2]。 2012年11月場所より、立行司39代式守伊之助を襲名[3]。庄三郎時代に後援会より贈られた軍配を時折使用している。なお、庄之助の譲り団扇は東京場所の横綱土俵入りのみ使用し、取組時は、十枚目格昇進時に家族から贈られた軍配を使用していた。そのため、庄之助のみ持つことを許されている譲り団扇を用いた取組はない(停年後、行司装束と軍配団扇を故郷の自治体へ寄贈した際、取組で用いていた漆塗りの軍配がおよそ600グラムに対し、庄之助の譲り団扇が相当重い〈軍配だけで1kg以上する〉ため、横綱土俵入りにしか使用しなかった、と説明した)。 2013年5月場所後、36代木村庄之助が停年を迎えたが、番付編成会議において翌7月場所は木村庄之助を空位とし、2006年3月場所以来7年ぶりに立行司は伊之助1人となった。 2013年11月場所より、2場所空位であった木村庄之助(37代)を襲名[4]。 立行司40代式守伊之助や、三役格6代木村玉治郎、幕内格木村寿之介は弟弟子にあたる。 2015年3月場所9日目に停年(定年)の満65歳を迎え、以前なら65歳になる前日の中日(8日目)が最後の捌きとなるが、規定が改正となり、場所中に停年を迎えても千秋楽まで務めることとなり、千秋楽をもって停年により引退となった[5]。なお最後の捌きは、横綱同士の白鵬-日馬富士戦。 また、彼の停年退職後、次期庄之助になるはずだった40代伊之助が、軍配差し違えなどの土俵上でのミスや不祥事などにより結局庄之助になれないまま辞職、さらに41代伊之助も軍配差し違えなどの土俵上でのミスが多く庄之助襲名が2024年1月場所に決まるまで、約9年に渡り庄之助が襲名されないままとなっていた(事実上の空位)。 2022年7月22日、慢性間質性肺炎のため、自宅で死去[6]。72歳没。 エピソード
履歴
部屋移籍履歴
出演配信ドラマ
脚注
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