木下 博信(きのした ひろのぶ、1964年(昭和39年)11月24日[1] - )は、日本の政治家。埼玉県議会議員(2015年 - )。埼玉県草加市長(2001年 - 2010年)。草加市議会議員(1993年 - 2001年)。全国青年市長会元会長。
来歴
- 1971年3月、草加氷川幼稚園卒園。
- 1977年3月、草加市立高砂小学校卒業。
- 1980年3月、草加市立瀬崎中学校卒業。
- 1983年3月、埼玉県立春日部高等学校卒業。
- 1987年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
- 1993年8月、草加市議会議員補欠選挙で市議会議員初当選。
- 2001年8月、草加市長選挙に立候補し初当選。市長就任。
- 2010年9月、草加市議会より市長不信任案が出され、賛成24、反対5、棄権1で可決。市長の権限により、草加市議会を解散。
- 2010年10月、草加市議会議員選挙後の臨時市議会において、再度市議会より市長不信任案が出され、賛成23(前回比-1)、反対7(前回比+2)で可決。地方自治法の規定により、草加市長を失職。
- 2010年12月、草加市長選挙に立候補するも、市議会側が擁立した田中和明に敗れる。
- 2012年7月、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科附属システムデザイン・マネジメント研究所研究員
- 2013年9月、草加駅・谷塚駅・松原団地駅(現・獨協大学前駅)・新田駅で、駅端懇談を始めた。
- 2014年10月、6月に発足した地域政党「ネクスト草加」公認で草加市長選挙に立候補するも、落選する。
- 2015年4月、埼玉県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
- 2015年5月、埼玉県議会会派「無所属改革の会」結成に参加。
- 2019年7月1日付けで自由民主党議員団に所属。
草加市議会議員としての活動
- 議会改革特別委員会副委員長
- 総務文教委員長
- 監査委員
草加市長としての活動実績
構造改革特別区域を利用して、様々な改革を行った。結果、草加市からの構造改革特区提案数は市町村では、全国一位となった[2]
草加市の生産性(人口1人当たりの行政コストと人口千人当たりの職員数から評価)が全国で一位となった。
草加市立病院をめぐる対応
草加市立病院が、医師不足で産婦人科を休止した経緯を、草加市長として報告(産婦人科医・小児科医不足を考えるシンポジウム)[3]。
草加市立病院の産科は医師5人体制で行なっていたが、退職により2005年3月には担当医が3人になってしまったため、当直勤務などを含む安全な医療を遂行出来なくなり、やむなく休止された[4]。2005年10月に就任した高元院長は木下草加市長と協力して、2007年10月には医師五人を集め、産科を産婦人科として復活させた。
草加市長選挙の公約(2010年12月)
- 市議会議員定数の大幅削減
- 市民による住民自治制度
- 口利き禁止条例の制定
全国的な活動
関連書籍
脚注
外部リンク
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- 牛山信吉1958.11.1-1967.2.17
- 池田岩松1967.2.18-1971.2.17
- 黒沢春雄1971.2.18-1973.8.22
- 市長職務代理 高山松太郎1973.8.23-1973.10.13
- 鈴木繁1973.10.14-1977.10.13
- 今井宏1977.10.14-1993.6.24
- 市長職務代理 山下裕辭1993.6.25-1993.8.8
- 小澤博1993.8.9-2001.8.7
- 木下博信2001.8.8-2010.10.27
- 市長職務代理 田口嘉則2010.10.28-2010.12.12
- 田中和明2010.12.13-2018.10.28
- 浅井昌志2018.10.29-2022.10.28
- 山川百合子2022.10.29-
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