有賀長伯有賀 長伯(ありが/あるが ちょうはく、1661年(寛文元年)- 1737年6月29日(元文2年6月2日))は、江戸時代前期から中期の歌人、国学者である[1][2]。号は以敬斎[1][2]、無曲軒[1]、六喩[1][3]がある。 経歴・人物医師の家系の子して、京都に生まれる[1][4]。後に大坂に移り、住吉にて貞門派の[5]望月長孝及び平間長雅の門人となり国学や俳諧、詠歌を学んだ[1][2]。 後に堂上家の歌学を参考にし[5]、有賀家の七部書を執筆した事により上方における公卿二条家の歌風に影響を与えた[1][5]。1695年(元禄8年)には伊勢の豊宮崎文庫における歌人の組合等を成立する等、代表的な歌人となった。なお、長伯が執筆した歌集は後に歌人の初心者における便宜に貢献した[2]。子に有賀長因がいる[1]。 主な門人主な著作物主著
その他の著書存命中に刊行没後に刊行脚注外部リンク |