智氏 (晋)智氏(ちし)は春秋時代の中国の氏族。同族である中行氏と共に晋の六卿を世襲した。智瑶の代には他家を凌ぐ勢いを得たがその勢を恐れた趙氏、魏氏、韓氏によって滅ぼされた。 概要元々は晋の武公、献公に仕えた荀息を祖とする荀氏であった。荀息の孫にあたる荀首が智(地名)に封じられたことから智氏と呼ばれた。歴代当主は六卿に任ぜられ他の五氏(中行氏、范氏、趙氏、魏氏、韓氏)と共に晋の国政を左右した。なお中行氏は荀首の兄である荀林父を祖とする同族である。 智躒の代に国内の争いに乗じて中行氏と范氏を国外に追放した。智躒の孫の智瑶は両氏の領地を趙氏、魏氏、韓氏の間で分けようとし、当時の晋の君主であった出公と対立した。出公は斉や魯と結び智氏らを討とうとしたが、戦いに敗れ逃亡中に亡くなった。新たに哀公が君主として即位したが実権はなく、中行氏と范氏の領地の大部分を有した智氏が国内の最大勢力となった。智瑶はさらなる勢力拡大を図り、残った三氏(趙氏、韓氏、魏氏)にも領地を要求し、唯一要求に従わなかった趙氏を韓氏、魏氏と共に攻めた。しかし、趙氏の当主である趙無恤の説得により韓氏、魏氏は趙氏側に寝返り、逆に趙氏らにより滅ぼされた(晋陽の戦い)。智氏の領地は三氏によって分割され、後の三晋が誕生する下地となった。 歴代当主系図
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