智久女王(ちくじょうおう/にょおう、1417年3月5日〈応永24年2月17日〉 - ?)は室町時代の皇族。女王。伏見宮家第2代当主で崇光天皇の皇孫、伏見宮治仁王の第3王女。幼名ははい。
1433年(永享5年)、近江国(滋賀県)坂本の智恩寺に入室し、同年元応寺で落飾した。1434年(永享6年)、動乱の坂本をさけて京都の大慈院に逃げた。
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