時うどん

時うどん(ときうどん)は古典落語の演目。『刻うどん』とも表記される。

享保11年(1726年)の笑話本『軽口初笑』の「他人は喰うより」が元となっている。江戸落語の「時そば」類似の滑稽噺であり、サゲも「時そば」と同じである。

あらすじ

知恵の働く兄貴分と少し足りない弟分が、夜道で屋台立ち食いそば・うどん店を見つけ、うどんを食べようとする。代金は16文だが、弟分は8文しか持ち合わせがなく、「何だ、それだけか」と怒鳴った兄貴分も7文しかなかった。それでもかまわず兄貴分はうどんを注文し、店主の「うど〜んエー、そーばやうど〜ん」という客寄せの呼び声を、「やかましい」と文句を言ったり、そうこうするうちうどんができると、兄貴分は自分だけうどんを食べ、弟分が後ろから遠慮がちにつついても(うどんをくれ、という合図)、「待て待て」と言うだけ。ようやく、「そんなにこのうどん食いたいか」と渡してくれたどんぶりにはわずかなうどんが残っているだけ。勘定を払う時になると、「銭が細かいから数えながら渡す」と言って、「一、二、……七、八、今何時や」。うどん屋が「九つです」と言うと「十、十一、……十六。」歩きながら、1文足りなかったはずなのに、と不思議がる弟分だが、兄貴分から何時と聞いて店主から時間の時を聞いて勘定を続けるからくりを教えてもらうと大喜びで、「わいも明日やってみよう」[1]

翌日、早くやってみたくて明るいうちから町に出た弟分は、昨夜とは別の屋台を見つけた。何もかも昨夜と同じにやりたくてたまらないので、「うど〜んエー、そーばやうど〜ん」と客寄せしろと店主に言いそのとおりにすると、やかましい、と怒鳴って「そんなら歌わせなさんな」と文句を言われ、うどんを食べながら、「待て待て」とか「そんなにこのうどん食いたいか」と1人で言うので、「あんた、何か悪い霊でも付いてまんのか」と店主に気味悪がられたり、最後には、「何や、これだけしか残っとらん」とつぶやいて「あんたが食べなはったんや」とあきれられる。それでも、勘定を払う段になると大喜びで、一、二……七、八、今何時や、と聞いて、「四つです」。五、六、七、八、……というオチで終わる[1]

「時うどん」と「時そば」

江戸落語の「時そば」も同様に「他人は喰うより」を原話としているが噺の内容はかなり異なっている。江戸噺の「時そば」はそれぞれ単独犯で模倣の動機もただの愉快犯であるが、上方落語の「時うどん」には別の深い動機がある[1]。上方噺の「時うどん」が明治時代3代目柳家小さんが東京に移植して「時そば」になったものといわれ、「時そば」の原型をなす噺であったが、今日では「時そば」の方が広く知られている[1]。現在、上方の若手落語家には「時そば」とほとんど同じ内容で「時うどん」を演ずる者もいる[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ 春風亭昇太は逆に「時うどん」の内容で「時そば」を演じており、CD化もされている。

出典

関連項目