南北戦争中の1861年11月9日、イリノイ州の11、18、29連隊はミズーリ州ブルームフィールド(英語版)でキャンプを張っていた。地元新聞社を探したがもぬけの殻だったため、自分たちの活動に関する新聞を自身で発行することを決断し、新聞名を Stars and Stripes とした。現在ブルームフィールドには Stars & Stripes Museum/Library Association が置かれている[4]。
第一次世界大戦
第一次世界大戦中に経験を積んだ Stars and Stripes の記者やイラストレーターは戦後ベテラン記者や若手兵士になっていった。編集者だったヘラルド・ロス(英語版)はその後雑誌「ザ・ニューヨーカー」を創刊した。アートディレクター兼主要イラストレーターだったサイラス・リロイ・ボルドリッジ(英語版)は書籍・雑誌のメジャーなイラストレーターだけでなく版画家、ステージデザイナーになった。スポーツ担当編集者のグラントランド・ライス(英語版)はジャーナリストとして長いキャリアを積み、グラントランド・ライス・スポットライトという映画スタジオを設立した[5]。演劇評論家のアレクサンダー・ウールコット(英語版)が Stars and Stripes に寄稿したエッセイをまとめた本が The Command Is Forward (1919) として出版された。
Stars and Stripes はその後8ページの週刊誌としてフランスで印刷し米軍部隊に配布するという社員の努力により読者は526,000人とピークに達した。
Stars and Stripes はアメリカ国防総省と議会に承認された、独立した日刊の軍事ニュースと、欧州と中東、東アジアの米軍施設情報を発行している。新聞は1日平均40から48ページのタブロイド形式の紙媒体やインターネット上で発行している。また市民や米軍上級下士官を記者として採用しており、世界中に拠点を構えており35万人以上に読まれている。また、オンライン版は月約400,000アクセスがありそのうち60から70%がアメリカ合衆国からのアクセスになっている。
2009年、Stars and Stripes はワシントンD.C.の事務局にて "Stripes Central" というブログ・サイトを開設した。コンテンツは事務局の記者によって執筆されている。
Stars and Stripes は国防総省職員等による福利厚生基金の従業員による組織であり、国防総省による助成は一部に限られる。運営資金の大部分は広告収入と購読契約で賄われている。また多くの軍事出版物の中で唯一憲法修正第一条の保護対象の新聞で、新たに組織された Defense Media Activity の一部になっている。Defense Media Activity による他のメディア(例として Pentagon Channel、Armed Forces Radio and Television Service)は国防総省の命令によるものであるのに対し、Stars and Stripes のみは完全に編集権の独立性を維持している。