旭川新聞
旭川新聞(あさひかわしんぶん)は、かつて存在していた株式会社旭川新聞社 [1] が発行していた北海道の地方新聞。傘下に「北見新聞」および「留萌新聞」があった。 概要1915年(大正4年)10月、田中秋声(秋聲)が前身となる「北海東雲新聞」を創業 [2]し、1919年(大正8年)「旭川新聞」に改題。1935年(昭和10年)以降同業社の買収を繰り返すなどして北海道内での影響力が高まるも、1942年(昭和17年)、国家総動員法・新聞事業令に基づく新聞統制いわゆる「一県一紙」政策により、道内他二系列の新聞社と統合となり「北海道新聞」が新たに創刊され、合わせて旭川新聞は廃刊になる。[3] 当時の北海道内11紙は資本関係が三系統に分かれており、北海タイムス系列(北海タイムス、旭川タイムス、十勝毎日、新函館、室蘭日報)、小樽新聞系列(小樽新聞、網走新報)、旭川新聞系列(旭川新聞、北見新聞)が存在していた。[4] 歴史
エピソード1942年の新聞統制による合併は、半ば強制的であったことから各社の反発と抵抗は強く、資産の拠出や役員人事を巡り経営は幾度も紛糾することとなった。[7] 北海道新聞発足後も、株式会社北海道新聞社の取締役地崎宇三郎が同社社長の東季彦を背任横領で告訴するなど、戦後における騒動の一員にもなった。 脚注
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