日航ジャンボ機UFO遭遇事件
日航ジャンボ機UFO遭遇事件(にっこうジャンボきユーフォーそうぐうじけん)は、1986年11月17日に日本航空の貨物便である1628便が、アメリカ合衆国のアラスカ州上空で未確認飛行物体(UFO)に遭遇した事件[2]。 事件概要事件当日のJAL1628便機長の主張1986年11月17日、パリ=シャルル・ド・ゴール空港発ケプラヴィーク、アンカレッジ経由東京-成田行[1]JAL1628便、日本航空のボーイング747-246F貨物機が、アラスカ州のフェアバンクス上空の高度約10,000メートルを飛行中に、両端にライトを点灯させた巨大な母船型UFOに遭遇した(ただし、「母船型」と言っているのは機長だけで、副操縦士は「光は見たが、機長の言うような形には見えなかった」と証言している)。 同機機長によると、UFOは自機の大きさの3~4倍にも匹敵する巨大な球形で、1時間弱の間、旋回して逃れようとした同機と併走するように移動し、機内の気象レーダーにもはっきりと写ったが、なぜか雲のような透明状のものとしてレーダー上では写っていたとのことである(金属製の物体なら赤く映るがUFOの像は緑の中であった)。 このUFOについては、アメリカ連邦航空局(FAA)のアンカレッジ空港の地上レーダーとアメリカ軍のエルメンドルフ空軍基地のレーダーでも該当する物体は捕捉されなかった。後述のキャラハン氏のみが地上レーダーで捕捉されていたと証言している(なお、実際はゴーストだったが、レーダーに別のコンタクトがあったのは事実のようである)[3]。地上レーダーで確認できなかったことから、管制局から「調査のため空軍機の飛行を依頼するか」との提案があったが、機長は当該提案を断った(なお、通信記録にこのような会話は無いと言われている)。この提案を断ったことについては、後に機長自身による「非常に高度に発達した飛行機に対して、あるいは宇宙船に対して行動を取った場合に、彼らはものすごい技術を持っていますんでね。"なんか変なことでもされたんでは申し訳ない"という気持ちがありますもんで、即座に断りました」という発言があった。 その後、JAL1628便がアラスカ行きのユナイテッド航空69便と行き違ったところ、UFOは反転して今度はユナイテッド機の追尾を始め、同機がアラスカに着陸すると何処かに消失した。なお、ユナイテッド航空69便はUFOらしきものは見ていない。また、あまり話題にならなかったが、UFO騒ぎを聞きつけた空軍のC-130輸送機が現場に接近しており、日航機は視認したがUFOらしき物体は確認できなかったとのことである。 なお、このUFO目撃事件については、「航空機の安全運航に影響がある」とされたことから、アンカレッジ着陸後、FAAによって機長の事情聴取が行われ、機長については酩酊などの可能性がないことが報告されている。[要出典] この事件の数ヶ月前に、日本航空の機長が見たとされる同じUFOがブラジルのサンパウロ上空に現れ、大勢の人に目撃されている[4]。 報道後に寺内機長が事件の詳細を共同通信社に勤務する友人に話したことから、この事件を共同通信社が世界各国に向け配信、事件が公になり、当時日本をはじめとする各国のテレビニュースや全国紙、週刊誌などで大きく報道された。この第一報の時点でも、副操縦士は、「光は見たが飛行物体の形は確認できなかった」と証言しており、航空機関士は「何も見ていない」と証言している。またさらに機長は、「機内が照らされて熱も感じた」と述べているが、副操縦士も機関士も、「そんなことはなかった」と否定している。しかしながら、その直後に「UFOではなく惑星を見間違えたもの」とするマスコミによる解釈が報道された[5]。機長はその後地上勤務に異動となった[6]。 なお寺内機長はこの事件の前後にもUFO目撃談を語っており、この事件の後でも再びアラスカ上空で「UFO」を目撃しているが、この時については、光柱現象の誤認であると機長は認めている。本件についても、レーダーに雲状のものとして映ったという事実は、光柱現象を起こすような氷晶を含んだ雲であった可能性を示唆している。 キャラハンの主張この事件は、20世紀末までは「機長の錯覚」として人々の記憶から忘れ去られていた。しかし、2001年に、かつてのNASA関係者や退役軍人、政府関係者、航空メーカーの技術者などが『ディスクロジャープロジェクト』というUFOや宇宙人に関する情報公開を目的とした記者発表会をワシントンD.C.で開催し、本件についてはFAA職員であり事件当時を含む1981年~1988年にかけて事故調査部長だったジョン・キャラハン(John Callahan)より、日航機長の報告を裏付ける証言がなされた。 →「UFOディスクロージャー・プロジェクト」を参照
キャラハンによると、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは実際にレーダー上で確認され、機長の要請に呼応する形でFAAがレーダー追跡し管制対応と記録を行っていた[3]。その後事件がマスコミに漏れて騒ぎになったことから、FAAのアンカレジ支部は業務に支障を来たし、事件翌々月の1987年1月、対処をキャラハンが率いる事故調査部に一任した。 キャラハンは全ての資料と記録をFAAの技術センターに移送させ、模擬管制室を用意して録音やデータを元に管制経過のリアルタイム再現を行った。これに立ち会って内容を知ったキャラハンは報告のためFAA本部に戻り、当時FAA局長だった退役海軍中将Donald D. Engenに再現時のレーダースクリーン状況を録画したビデオを見せた。するとEngenはその夜の予定を全てキャンセルし、「大統領に面会する」として出て行った。この二日後、FBI、CIA、および当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン直属の科学調査班が召集され、キャラハン他FAA関係者22名を含めた報告会議が開かれた[7][8][9]。 この会議の終わりにおいて、参加者全員に対してCIAから緘口令が宣告され、公式には本事件は存在せず、この会議も開催されなかったこととされた[7][3]。このとき、FAAが会議に提出した資料やレーダー記録等はCIAらにより全て持ち去られたが、FAA側は他にも報告書や録音テープ、再現状況録画ビデオの原本等を保有しており、これらは気付かれず特に提出を命じられなかった。このためキャラハンらはこれらを保管し続け、後に一部を公表した[10][11]。 また、レーガン大統領はこのUFO遭遇事件の報道に関して、アメリカ国内のマスコミに圧力をかけたといわれている[要出典]。HAARPによる何らかの秘密実験との関連を指摘する説もある[要出典]。 補足
脚注
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