PERGURUAN TINGGI
JURNAL
PERGURUAN TINGGI
JURNAL
JURNAL
BIDANG ILMU
TAHUN TERBIT
KEYWORD - KATA KUNCI
Search Jurnal
日布
この項目では、日布 (大石寺法主)について説明しています。日布 (久遠寺法主)については「
杉田日布
」をご覧ください。
日布
(にっぷ、
天保
6年
2月5日
(
1835年
3月3日
) -
大正
8年(
1919年
)
3月4日
)は、
大石寺
第55世法主。下山姓。川越阿闍梨。広宣院。道号は泰勤。
略歴
1835年
(
天保
6年)2月5日、
武蔵国
入間郡
石井村(現・
埼玉県
坂戸市
)の下山善輔の三男として誕生。
1841年
(
天保
12年)1月16日、51世
日英
を師範として出家得度し、道号を泰勤と称した。
1852年
(
嘉永
5年)4月20日、
細草檀林
に入檀。
1858年
(
安政
5年)2月16日、総本山大石寺塔中・了性坊住職就任。
1874年
(
明治
7年)12月12日、54世日胤より法の付嘱を受け、大石寺第55世日布として登座。
1876年
(明治9年)、
日興門流
の8本山とその末寺により
日蓮宗興門派
が成立(
1899年
に
本門宗
と改称)。
1881年
(明治14年)5月16日より
1882年
(明治15年)4月26日まで、
日蓮宗興門派
の第4代管長に就任。
1883年
(明治15年)、
国柱会
と
横浜問答
を行った。
1889年
(明治22年)5月21日、第56世日応へ法を付嘱した。
1892年
(明治25年)4月1日から東方地方へ巡教した。
1919年
(
大正
8年)3月4日、84歳で死去した。
先代
日胤
大石寺住職一覧
次代
日応