新庄直陳新庄 直陳(しんじょう なおのぶ、1856年11月29日(安政3年11月2日[1])- 1913年(大正2年)4月15日[1][2])は、明治期の裁判官、政治家、華族。貴族院子爵議員。新荘と表記される場合がある[2][3]。 経歴新庄鐸橘の長男(麻生藩主・新庄直彪甥)として生まれる[1][3][4]。旧麻生藩新庄家当主・新庄美雄(故新庄直正夫人)の入夫となり、1878年(明治11年)6月26日に家督を継承[1]。1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した[5]。 司法省に出仕し判事に就任[3][4]。1889年(明治22年)公証人となる[2]。1890年(明治23年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、死去するまで在任した[2][6]。その他、茨城県農工銀行取締役、雄勝スレート取締役を務めた[3][4]。 1913年4月、東京府豊多摩郡中野町の自宅で療養中に死去した[3]。 親族脚注参考文献
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