斎藤十一郎斎藤 十一郎(さいとう じゅういちろう、1867年9月7日〈慶應3年8月10日[1][2]〉 - 1920年〈大正9年〉6月11日[2])は、明治から大正時代の司法官僚。法学者。 経歴出羽国村山郡(現山形県)出身[2]。斎藤太の次男として生まれ、1876年(明治9年)10月、分家し一家を創立する[1]。1891年(明治24年)帝国大学法科大学を卒業し、1893年(明治26年)検事、同年判事となり、東京地方裁判所、横浜地方裁判所各部長、東京控訴院判事を歴任した[1][3]。1899年(明治32年)欧州出張を経て、翌年東京控訴院部長に任じ、1902年(明治35年)司法省参事官兼大審院検事となり[1]、1913年(大正2年)大阪控訴院長となり関西大学長を兼ねた[2]。学習院大学や東京高等商業学校などでも講義をもった[2]。1908年(明治41年)に公布された公証人制度を創案した[2]。 著作
親族
脚注参考文献
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