斉耀珊
斉 耀珊(せい ようさん)は清末民初の政治家。北京政府で要職をつとめた。字は照巖。兄は同じく清末民初の政治家である斉耀琳。 事績1890年(光緒16年)、庚申科進士となる。その後は湖北省で各職を歴任し、湖北提学使まで昇進した。1913年(民国2年)1月、北京塩務籌備処処長となる。翌年3月には約法会議議員、5月には参政院参政となった。 1918年(民国7年)1月、浙江省省長となる。1920年(民国9年)6月には山東省省長に異動した。1921年(民国10年)5月、靳雲鵬内閣で内務総長兼飢饉救済会総理となる。後に督弁京師市政事宜、商務銀行総裁も兼ねた。12月、梁士詒内閣で農商総長に異動し、さらに教育総長も兼任署理した。 顔恵慶臨時内閣を経て、周自斉臨時内閣の1922年(民国11年)6月に政府の各職を離れ、農商銀行総裁となった。1927年(民国16年)、安国軍政治討論委員会委員、北京古学院経史研究会研究員などをつとめている。 以後、斉耀珊の行方は不明である。 注参考文献
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