文公(ぶんこう)は、武公の後を継いだ、西周の諸侯国である許国の8代君主。在位期間は不詳[2]。姓は姜、名は興父[1]。父は前代の武公[1]。
《資治通鑑外紀》に
(桓王)八年,秋七月,斉・鄭・魯伐許。壬午,入許。許荘公奔衛。鄭荘公奉許荘公之弟許叔居許東偏。許,姜姓,与斉同祖,周武王封文叔于許,以奉太岳之祀。文叔之後曰徳男;曰伯封;曰孝男;曰靖男;曰康男;曰武公;曰文公;曰荘公茀。荘公之後桓公鄭,疑即許叔也。
と記載されている[1]。
《左伝正義》及び《資治通鑑外紀》には周の幽王の死後、申侯や繒侯らが、申国で王子宜臼(平王)を天子とし、王子余臣を擁立した虢公翰と対立したとある。
不明 - 不明
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