持明院基宗
持明院 基宗(じみょういん もとむね)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家中御門流庶流持明院家、持明院基家の子。官位は従三位・非参議。持明院家4代当主。 経歴母・源長時の娘は上西門院に仕えた女房のため、上西門院より多くの給を賜った。 永暦2年(1161年)7歳で叙爵。加賀守に叙任される。侍従を経て、承安2年(1172年)正五位下に叙される。治暦3年(1179年)左近衛少将に任ぜられる。 養和元年11月/寿永元年(1182年)従四位下、従四位上と同年のうちに昇叙され、文治4年(1188年)左近衛権中将より建久6年(1195年)従三位に叙され公卿に列す。しかしその後は官職に就くことはなく建仁2年(1202年)2月に薨去。享年48。 官歴※以下、『公卿補任』の記載に従う。
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