戸田忠綱
戸田 忠綱(とだ ただつな)は、下野高徳藩知事(第2代藩主)、後に下総曾我野藩知事。 生涯天保11年(1840年)12月3日、下野宇都宮藩の一門重臣・戸田(間瀬)和三郎(後の高徳藩主戸田忠至)の長男として江戸の宇都宮藩邸で生まれる。慶応3年(1867年)9月9日に山陵奉行見習に任じられる。明治元年(1868年)に即位間もない明治天皇に馬術の指導を行った。明治2年(1869年)5月15日、父の隠居により家督を継いで高徳藩主となり、6月25日に従五位下・備後守に叙位・任官して高徳藩知事に任じられた。 明治3年(1870年)3月19日、藩庁を下総曾我野陣屋に移し、8月12日に曾我野藩知事に任じられる。明治4年(1871年)の廃藩置県で知藩事職を免官された。明治15年(1882年)6月、家督を長男の忠義に譲って隠居する。大正11年(1922年)1月28日に死去、享年83。 系譜父母
正室
子女
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