愛宕通致
愛宕 通致(おたぎ みちずみ[2]/みちむね[1])は、幕末の公家、明治期の官僚。 経歴山城国京都で権中納言・愛宕通祐と善子(中院家侍清水正久の娘)の息子として生まれる[1]。右京権大夫、侍従、右近衛権少将、右近衛権中将を歴任し、元治元年12月(1865年)儲君親王(のちの明治天皇)家司となる[1]。 安政5年(1858年)廷臣八十八卿列参事件に加わり、また、慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に養子の通旭と共に加わった[1]。 明治維新後は、桂宮家祗候、殿掌などを務めた[1]。父の通祐の死去により1876年1月22日、家督を継承し[2]、1884年7月8日、子爵を叙爵[3]。 系譜脚注参考文献
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