『想いは果てなく〜母なるイングランド 』(おもいははてなく ははなるいんぐらんど, 原題:Somewhere In England )は、1981年 6月1日 に発表されたジョージ・ハリスン のアルバム である。日本国内では同年6月25日 にワーナー・パイオニア からリリースされた。
解説
制作に至る経緯
1979年3月、ハリスンはアメリカ・ロサンゼルス のダークホース・レコード のオフィスで記者会見を行い[ 1] [ 2] 、アルバム『慈愛の輝き 』の一連のプロモーション活動を終えると、しばらくの間、音楽活動から距離を置いた。これには前年のレコーディングの最中にハリスンに起こったいくつかの出来事が深く関わっていた。
その一つは、息子ダーニ の誕生である。父ハロルドの死から3か月後の1978年8月1日、当時公私にわたるパートナーであったオリヴィア・アリアス が出産したことで、ハリスンは初めて父親になった。その後、9月2日に正式に結婚すると[ 注釈 1] 、これまでになく家族と過ごす時間を大切にするようになっていた。
二つ目は、モータースポーツ 関係者への支援である。ハリスンは少年時代よりモータースポーツもファンで、F1 ドライバーのジャッキー・スチュワート やオートバイ・レーサーのスティーブ・パリッシュ らと親交があった。1977年世界選手権 500ccクラス5位という好成績を収めたにもかかわらず、シーズン終了後スズキ から予算削減のため解雇されたパリッシュをハリスンは支援し、1978年ACU ゴールド・スター・チャンピオン獲得に大きな貢献をした。また10月20日に29歳の若さで癌により亡くなった元F1 ドライバーのグンナー・ニルソン が創設した癌撲滅基金への支援も行い、募金活動に参加した[ 注釈 2] 。その後『慈愛の輝き』収録の「ファースター 」をチャリティー・シングルとしてリリースし、収益を全額基金へ寄付した。
もう一つは映画業界への進出である。ハリスンの友人であるエリック・アイドル が属するコメディ・グループ、モンティ・パイソン は映画『ライフ・オブ・ブライアン 』の制作開始直前に突然EMIフィルム が出資を取りやめたために窮地に陥っていた。ハリスンはこれを支援するためにデニス・オブライエン と共同でハンドメイド・フィルムス を設立し、400万ドルを出資した。
映画の公開が決まり、一段落したハリスンは、ハワイ ・マウイ島 で家族と過ごしながら曲を書いたり、デモを作ったり、ようやくアルバム制作のレコーディングの準備を始めた。
最初のレコーディング
1980年3月から自宅スタジオであるフライアー・パーク・スタジオ で、レイ・クーパー 、ジム・ケルトナー らと共にセルフ・プロデュースで本格的なレコーディングを開始した。作業はそれから7か月間、のんびりしたペースで続けられた。ハリスンが幼少の頃から慣れ親しんできたアメリカの作曲家ホーギー・カーマイケル の楽曲もカバーした。9月には最終ミックスを行ってアルバムが完成し、アートワークも出来上がり、10月下旬のリリースを待つだけだった。この時点での収録曲は以下の通り。
サイド1 # タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「ホンコン・ブルース」(Hong Kong Blues) ホーギー・カーマイケル 2:55 2. 「神のらくがき」(Writing On The Wall) ジョージ・ハリスン 4:00 3. 「フライング・アワー」(Flying Hour) ジョージ・ハリスン、ミック・ラルフス 4:04 4. 「レイ・ヒズ・ヘッド」(Lay His Head) ジョージ・ハリスン 3:43 5. 「空白地帯」(Unconciousness Rules) ジョージ・ハリスン 3:35 合計時間:
18:17
サイド2 # タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「サット・シンギング」(Sat Singing) ジョージ・ハリスン 4:25 2. 「ライフ・イットセルフ」(Life Itself) ジョージ・ハリスン 4:39 3. 「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」(Tears Of The World) ジョージ・ハリスン 4:04 4. 「バルチモア・オリオール」(Baltimore Oriole) ホーギー・カーマイケル 3:57 5. 「世界を救え」(Save the World) ジョージ・ハリスン 4:54 合計時間:
21:59
ところが突然、ダーク・ホース・レコード の販売元であるワーナー・ブラザース・レコード の社長モー・オースティン から収録曲の一部[ 注釈 3] の差替えとジャケットの変更を命じられ、リリースが延期されてしまった。全編いわゆる「レイドバック」的な演奏で当時の流行には合わず、ヒットを狙える曲がないことが理由だった[ 注釈 4] 。4年前にA&M から契約を打ち切られた時に窮地を救ってくれたオースティンに恩義を感じていた[ 注釈 5] ハリスンは同意せざるを得なかった。
2度目のレコーディング
そんな折、ロサンゼルス での新しいアルバム 用のレコーディング・セッションを終えてロンドンに戻ってきたリンゴ・スター から、楽曲の提供を依頼された。ハリスンは「過ぎ去りし日々 」と「ラック・マイ・ブレイン」の2曲を提供し、11月19日から25日にかけて自宅スタジオでアル・クーパー 、ハービー・フラワーズ 、レイ・クーパーという布陣で、スターのボーカルとドラムを録音した[ 注釈 6] 。ところが、スターは「過ぎ去りし日々」のボーカルが彼の声域に対して高すぎると感じ、歌詞についても気に入らなかったため、ハリスンは自分のアルバムの差し替え候補曲とすることにした。
12月に入ると、ハリスンはレイ・クーパーをプロデューサーに起用し、クーパーが連れてきたドラマーのデイヴ・マタックス 、ピアニストのマイク・モラン 、ベテラン・セッション・ベーシストのフラワーズらと追加レコーディングに取り掛かった[ 26] 。ところが「過ぎ去りし日々」のボーカル差し替えのレコーディングを行っていた12月8日にジョン・レノン がニューヨーク で射殺される事件が起きた [ 27] 。翌日の未明に訃報を知るとハリスンは大きなショックを受けた[ 28] 。デレク・テイラー を通じて、レノンに敬意を表する声明を発表した後、ハリソンは音楽で心を癒そうとレコーディングを続ける決心をし、レイとマタックスと共に「ブラッド・フロム・ア・クローン」を予定通り録音した[ 26] 。
1981年1月、「過ぎ去りし日々」を追悼歌としてレノンを称える歌詞に書き換え、ボーカルを再度録音し直した[ 注釈 9] 。数日後、スタジオを訪れたポール・マッカートニー夫妻とウイングス のデニー・レイン にバッキング・ボーカル を依頼、録音した[ 注釈 10] 。その後、ジョージ・マーティン とジェフ・エメリック の協力を得ながら[ 28] [ 注釈 11] 2月にアルバムを完成させた。
リリース
1981年5月、「過ぎ去りし日々」を「神のらくがき 」とのカップリングで[ 注釈 12] アルバムからの先行シングルとして発売すると、アメリカの『ビルボード 』誌のHot 100 では最高位2位[ 31] を記録し、同誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは第1位を獲得する大ヒットとなった。全英シングルチャート は最高位13位[ 32] だった。
3週間後に発売された本作は、イギリスの『ミュージック・ウィーク 』誌では1973年の『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド 』以降最高である13位を記録した。アメリカの『ビルボード 』誌では前作を超える11位を記録し、『キャッシュボックス 』誌でも、最高位第11位を獲得し、1981年度年間ランキング71位となった。しかし、売り上げは思うように伸びず、ビートルズ 解散後のハリスンのソロ・キャリアで、初めてゴールドディスク 認定されなかったアルバムとなった。日本の『オリジナル・コンフィデンス 』誌で31位を記録し、日本盤LPの推定累計セールスは約2万枚といわれている。
1991年 にCD化されたが、その後1994年にダーク・ホース・レコードとワーナーとの配給契約が満了するとしばらくの間、廃盤状態となった[ 注釈 13] 。2004年3月、デジタル・リマスタリングを施されて他のアルバムと共にEMI 傘下で再発された。その際、ジャケットのデザインは当初のものに戻された。また「空白地帯」は演奏時間が30秒長いオリジナル・バージョンに差し替えられ、「世界を救え」のデモ音源がボーナス・トラックとして追加収録された。
なお、差し替えられ、お蔵入りになっていた4曲は、後年になって全て発表された。「レイ・ヒズ・ヘッド」は新たにリミックスされ、1987年発売のシングル「セット・オン・ユー 」のカップリング曲として発表された。「フライング・アワー」と「サット・シンギング」は、1988年にイギリスのジェネシス出版 から2500部限定で刊行された直筆サイン入りの豪華本イラスト&歌詞集『ソング・バイ・ジョージ・ハリスン 』の付録EPもしくはCDに「レイ・ヒズ・ヘッド」とともに収録された。また、「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」は1992年にジェネシス出版から2500部限定で刊行された直筆サイン入りの豪華イラスト&歌詞集『ソング・バイ・ジョージ・ハリスンVol.2 』の付録EPもしくはCDに収録された[ 注釈 14] 。
アートワーク
アートディレクションは新たにプロデューサーのクーパーが担当した。ジャケット写真はロンドンのテート・ギャラリー で、イギリスの写真家キャロライン・アーウィンによって撮影された。背景にある立体作品は、1967年に芸術家マーク・ボイル[ 33] が制作した「Holland Park Avenue Study」である。
インナー・スリーブ裏面上部には、レノンへの献辞として「私もあなたも存在しなかった時代はない。私たちが存在しなくなる未来もない。」というクリシュナ の言葉がヒンドゥー教 の聖典 のひとつ『バガヴァッド・ギーター 』 [ 注釈 15] から引用されている。
なお、当初のハリスンの横顔とイギリス全土の衛星写真をコラージュしたデザインは、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリン と交流があり、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の本 のデザインをした関係でハリスンと知り合った香港出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナーのバジル・パオ が担当していた。
収録曲
オリジナル・アナログ・LP
2004年再発盤
CD # タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「ブラッド・フロム・ア・クローン」(Blood From A Clone) ジョージ・ハリスン 4:03 2. 「空白地帯」(Unconciousness Rules) ジョージ・ハリスン 3:35 3. 「ライフ・イットセルフ」(Life Itself) ジョージ・ハリスン 4:25 4. 「過ぎ去りし日々」(All Those Years Ago) ジョージ・ハリスン 3:45 5. 「バルチモア・オリオール」(Baltimore Oriole) ホーギー・カーマイケル 3:57 6. 「ティアードロップス」(Teardrops) ジョージ・ハリスン 4:07 7. 「ザット・ホウィッチ・アイ・ハヴ・ロスト」(That Which I Have Lost) ジョージ・ハリスン 3:47 8. 「神のらくがき」(Writing On The Wall) ジョージ・ハリスン 4:00 9. 「ホンコン・ブルース」(Hong Kong Blues) ホーギー・カーマイケル 2:55 10. 「世界を救え」(Save the World) ジョージ・ハリスン 4:54 11. 「世界を救え(アコースティック・デモ)」(Save the World (Acoustic demo version)) ジョージ・ハリスン 4:31 合計時間:
43:59
2007年iTunes Store版ボーナス・トラック
# タイトル 作詞・作曲 時間 12. 「フライング・アワー」(Flying Hour) ジョージ・ハリスン、ミック・ラルフス 4:35
参加ミュージシャン
※出典
脚注
注釈
^ 1977年6月、前妻パティ・ボイド との離婚が成立していた。弁護士が驚くほどの円満な離婚で、1979年5月に行われたパティとエリック・クラプトン との結婚披露宴にはポール・マッカートニー 、リンゴ・スター とともに参加し、ステージでお祝いの即興セッションまで行った。
^ 1979年1月6日にシルバーストン・サーキット で行われたイベントにはパリッシュと一緒にポルシェ924 を運転して参加した[ 8] 。また6月3日にはスターリング・モス 所有の1960年代初期のロータス18 でドニントン・パーク・サーキット をスチュワートとともに走行した。
^ 「ティアーズ・オブ・ザ・ワールド」、「サット・シンギング」、「レイ・ヒズ・ヘッド」、「フライング・アワー」の4曲。
^ この決定がいかに急だったことは、1980年11月17日にリリースされたジョン・レノン &オノ・ヨーコ のアルバム『ダブル・ファンタジー 』の日本盤初回生産分のLP帯の裏面に、既にこのアルバムが発売中であるとの宣伝が載っていた[ 19] ことでも窺い知ることができる。
^ ハリスンは感謝の意を込めて1977年、オースティンの50歳の誕生祝いとして「Mo」という曲をプレゼントした。
^ 他にスー・トンプソン の「 ユー・ビロング・トゥ・ミー 」のカバーも録音した。
^ 歌詞の中では「You were the one who imagined it all 」と歌われている。
^ 歌詞の中では「the devil's best friend 」と表現されている。
^ 書き換えられた歌詞の中には、「Imagine [ 注釈 7] 」や「All You Need Is Love 」とレノンが作曲した楽曲のタイトルや、レノンを殺害したマーク・チャップマン についての言及[ 注釈 8] が見られる。
^ マッカートニーはアルバム『タッグ・オブ・ウォー 』に収録する予定の「ワンダーラスト 」にハリスンのギター演奏をオーバーダブするためにジョージ・マーティンとジェフ・エメリックを伴ってスタジオを訪れたのだが、結局録音されることはなかった。
^ 契約上の関係で公式にはクレジットされていないが、ライナーノーツでハリスンは謝意を表している。
^ この曲はレノンの生前に録音されたものだったが、人生の儚さと精神的な目的を認識することの重要性を歌っている歌詞がカップリングにふさわしいと考えられた。
^ 版権は全てハリスンの下に戻ったが、10年間は他社で再発売できない契約になっていた。
^ 2004年に『33 1/3 』のボーナス・トラックとして収録された。
^ 収録曲「ザット・ホウィッチ・アイ・ハヴ・ロスト」はこの書に触発され書かれたものである。
出典
参考文献
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シングル
1970年 1971年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1979年 1981年 1982年 1985年 1987年 1988年 1989年 2003年
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