性海霊見
性海霊見(しょうかいれいけん)は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧。出生は信濃国水内郡善光寺横山。俗姓は橘氏。 経歴・人物南禅寺住持の虎関師錬に師事し、その法を嗣ぐ[1]。康永2年/興国4年(1343年)元へ渡り、のち帰国すると足利義詮に招かれ京都三聖寺の住持となる[1]。そののち東福寺、天竜寺、南禅寺などの住持を歴任した[1]。明徳5年(1394年)細川満春の求めにより伝明兆筆『大道一以像』[注釈 1]に着賛する。関連して著書である『性海霊見遺稿』にも画賛がのる[注釈 2]。 脚注注釈出典
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