徳川 知子(とくがわ ともこ、1875年(明治8年)8月15日 - 1953年(昭和28年)1月6日[1])は、明治から昭和時代戦後期の女性。田安徳川家9代当主・徳川達孝の夫人。父は島津忠義。母は山崎寿満子。
生涯
島津忠義の五女として生まれる。母は妾妻の山崎寿満子で、姉妹に菊麿王妃常子や邦彦王妃俔子がおり、知子は香淳皇后の伯母にあたる[2]。
前妻である徳川鏡子と死別した田安徳川家9代当主・徳川達孝の後妻となり、1899年(明治32年)に長男の徳川達成を出産。1910年(明治43年)には五女の恵子を出産した[3]。
1953年(昭和28年)、死去[1]。享年77。
脚注
- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.161
- ^ 『一億人の昭和史』(2010年、毎日新聞社)[要ページ番号]
- ^ “田安徳川家”. 花筐館. 2023年10月16日閲覧。