徳善屋敷
徳善屋敷(とくぜんやしき)は、徳島県三好市西祖谷山村徳善に位置する歴史的な建造物。徳島県の有形文化財に指定。 歴史かつて東西の祖谷山を治めた高取名主八家(祖谷八屋敷)のひとつ。南北朝時代に楠木正成の家臣である伊藤兵部が祖谷に隠棲し、生地である河内国得銭の名を取り得銭の姓を名乗っていたが、後にこの地で徳善に改名したといわれている[1]。 主屋は建築年代が1866年(慶應2年)で、間口10間半、奥行き5間半の大規模な木造入母屋造茅葺き平屋建て(現在屋根は覆鉄板となっている)で、正面には武家屋敷の名残をとどめる玄関構えを持っている[1]。 2014年(平成26年)2月14日に徳島県の有形文化財に指定された[2]。 交通
脚注
外部リンク
|