得本輝人得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日[1] - 2009年4月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。 経歴鹿児島県生まれ。1965年京都大学経済学部卒業。トヨタ自動車工業(1982年トヨタ自動車)に入社。1969年トヨタ労組執行委員。1976年自動車総連事務局長[2]。1985年全民労協副議長[3]。1986年全トヨタ労連中央執行委員長[4]、自動車総連会長(1998年まで)[5]、金属労協副議長[2]。1987年民間連合初代副会長[6]。1989年連合初代副会長[7]。1990年金属労協議長(2000年まで)[8]。 財団法人中部産業・労働政策研究会(中部産政研)初代副理事長[9]、同理事[10]、政治改革推進協議会(民間政治臨調)会長代理[11]、全国労働組合生産性会議(全労生)副議長、同議長[12]、財団法人国際労働財団(JILAF)理事長(2000年から2004年)[13]、国家公務員倫理審査会委員(2002年から2007年)も務めた[14][15]。2009年4月5日、腎不全のため東京都の病院で死去。67歳[5]。 脚注
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