律管律管(りっかん)は、日本、中国で用いられた、調律のための12本で1組の管。 タケ製が多い。中国古代、黄帝のときに発明されたとされる。黄帝は、伶倫に命じて崑崙の谷から一様の太さの竹管を切らせ、その長さを測って十二律を決めた。これが律管の起源であるとされる。 周のころ、律管の算法が確立したとされる。律管の制では、太さの一定した真っ直ぐなタケの管で、節はなく、両端は開いており、下端を手指でふさぎ、上端を口で吹き鳴らし、発せられる音で、音律の標準の音の高さとする。 管の長さの最古の記録は『呂氏春秋』5巻古樂[1]に「其長三寸九分而吹之 以為黃鐘之宮」とあり、黄鐘の管長が3寸9分と定められている。ついで『淮南子』天文訓[2]に、「黃鐘之律九寸」と黄鐘の管長は9寸とあり、蔡邕の『月令章句』に、管長9寸、孔径3分、囲9分と定められ、以後、黄鐘の管長9寸、囲9分が採用された。この黄鐘律管の長さから三分損益法によって十二律の律管長を算出する。それぞれの長さは以下の通りである。
しかし、実際は三分損益法は絃長に当て嵌るものであるため、管長は管の太さの影響があり、管口補正を施す必要があり、漢の京房はこれを算入して実際の律管の長さを定めた。 それぞれの長さは以下の通りである。
これらの律管長は古代中国の尺によるので、これを現尺にあらためるため、南宋の蔡元定は『律呂新書[3]』において古代尺度の研究を発表した。それにもとづいて江戸時代日本の藤元成が元禄8年に制した律管によれば、現尺による十二律管長は、以下の通り。
日本の雅楽十二律は中国伝来のものであるが、伝来時の尺度が古代尺とことなるから、日本の音律は中国のものと一致しない。御物である菅原道真作の十二律管はその高さが現行の雅楽十二律ときわめてよく一致するが、その管長と管の内径を田辺尚雄が測定した結果はつぎのとおり。
後に、律管はほとんど用いられないようになり、調子笛などがそれに取って代わった。 脚注関連項目 |