弦楽四重奏曲第2番 (スメタナ)《弦楽四重奏曲 第2番 ニ短調》は、ベドルジハ・スメタナが、梅毒性の深刻な聴覚障害に見舞われながらも、1883年に完成させた室内楽曲。《弦楽四重奏曲 第1番》に同じく、「わが生涯より」という副題が付けられることもあるが、本作では作曲者自身がそのように命名したわけではない。 1882年後半から作曲を開始し、1883年3月12日に完成した[1]。初演は、1884年1月3日にプラハで行われた[1]。 概要作曲当時のスメタナは、重い精神障害にも見舞われていたため、すでに伝統的な楽曲構成をとることは出来なくなっていたが、それでも自由な形式の中に激しい表現衝動と悲愴で真摯な内容を封じ込めることに成功した。その意味で表現主義音楽の先駆と呼ぶことができ、実際にシェーンベルクは、この作品に啓発されたことを認めたという。 スメタナ自身、第1楽章作曲時に友人に宛てた手紙で、
と述べている。 楽曲構成以下の4つの楽章からなる。
脚注外部リンク
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