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艦歴
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計画 |
1904年度[1]
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起工 |
1904年8月20日[1]
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進水 |
1905年8月7日[1]
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就役 |
1905年9月23日[1]
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その後 |
1905年12月12日駆逐艦に種別変更[1] 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1924年12月1日雑役船編入[1]
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除籍 |
1924年12月1日[1]
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廃船 |
1926年6月16日[1]
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処分 |
1926年8月10日撃沈処分[1]
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性能諸元
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排水量 |
常備:381t 満載:450t
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全長 |
69.2メートル
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全幅 |
6.6メートル
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吃水 |
1.8メートル
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機関 |
レシプロエンジン2基2軸、6,000hp
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最大速力 |
29ノット
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航続距離 |
11ノット/850カイリ
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乗員 |
70人
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兵装 |
80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門
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弥生(やよい / やよひ、旧字体:彌生)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の3番艦である。同名艦に睦月型駆逐艦の「弥生」があるため、こちらは「弥生 (初代)」や「弥生I」などと表記される。
艦歴
1904年(明治37年)8月20日、横須賀海軍工廠で起工[2]。1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第3号)[3]。同年8月7日、進水[2]。同日附で駆逐艦に類別[4]。同年9月23日、竣工[2]。
1924年(大正13年)12月1日、駆逐艦籍より除籍[5][6]。雑役船に編入。1926年(大正15年)6月16日、廃船。同年8月10日、豊後水道沖島沖で、標的として撃沈処分[1]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艦長
- 土師勘四郎 少佐:1905年9月1日 - 12月12日
- 駆逐艦長
- 土師勘四郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- 庄野義雄 少佐:1906年1月25日 - 2月14日
- 大宮釤次郎 少佐:1906年2月14日 - 1907年2月9日
- 前川義一 大尉:1907年2月9日 - 9月28日
- 吉村信成 少佐:1907年9月28日 - 1908年7月16日
- 影浦喜次郎 大尉:1908年7月16日 - 11月20日
- 小沢八郎 大尉:1908年11月20日 - 1910年5月23日
- 横尾敬義 大尉:1910年5月23日 - 1911年5月23日
- 本宿直次郎 大尉:1911年5月23日 - 12月1日
- 藤田許太郎 大尉:1911年12月1日 - 1913年4月1日
- 松平胖 大尉:1913年4月1日 - 1913年12月1日
- 高辻広長 大尉:1913年12月1日 - 1914年5月27日
- 加藤雅一 大尉:1914年5月27日 - 1915年12月13日
- 塩島美雄 大尉:1915年12月13日 - 1916年4月11日
- 古川良一 少佐:1916年4月11日 - 1916年10月27日
- 渋谷荘司 大尉:1916年10月27日 - 1917年7月2日
- 水落高五郎 少佐:1917年7月2日 - 12月1日[7]
- 森田重房 大尉:1917年12月1日[7] -
- 石井順三 大尉:不詳 - 1918年12月1日[8]
- 奥野晃 大尉:1918年12月1日[8] - 1919年4月26日[9]
- 後藤英次 大尉:1919年4月26日 - 1921年9月1日
- (兼)春日末章 大尉:1921年9月1日[10] - 12月1日[11]
- (兼)須藤平三郎 少佐:1921年12月1日[11] - 1922年4月8日[12]
- 福原一郎 大尉:1922年4月8日[12] - 6月10日[13]
- 園二郎 大尉:1922年6月10日[13] - 1923年4月1日[14]
- 村瀬頼治 大尉:1923年4月1日[14] - 1924年2月5日[15]
- (兼)宮武重敏 大尉:1924年2月5日[15] - 6月16日[16]
- (兼)吉田孝 大尉:1924年6月16日[16] -
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、290頁。
- ^ a b c #幕末以降p.93『彌生(起工)37-8-20(進水)38-8-7(竣工)38-9-23(建造所)横須賀工廠』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.52『明治三十八年八月七日(達一〇三)軍艦及水雷艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄「神風」ノ次ニ「彌生」ヲ追加ス』
- ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』
- ^ #除籍駆逐艦(3)pp.36-38『舊彌生(千噸以下)(略)(大正十三年十二月一日除籍)』
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ 『官報』第2018号、大正8年4月28日。
- ^ 『官報』第2727号、大正10年9月2日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2903号、大正11年4月10日。
- ^ a b 『官報』第2957号、大正11年6月12日。
- ^ a b 『官報』第3199号、大正12年4月2日。
- ^ a b 『官報』第3434号、大正13年2月6日。
- ^ a b 『官報』第3544号、大正13年6月17日。
参考文献
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(3)』。Ref.C14010006100。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
関連項目