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弘石雅和
ひろいし まさかず
弘石 雅和
生誕
(
1966-08-10
)
1966年
8月10日
(58歳)
日本
・
山口県
別名
HIRO.ec、MC神風YMO、MC202
出身校
成蹊大学
文学部
職業
音楽プロデューサー
活動期間
1990年
-
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弘石 雅和
(ひろいし まさかず、
1966年
8月10日
- )は、日本の音楽プロデューサー。ユーマ株式会社/株式会社Pinc代表取締役。
略歴
1990年
-
アルファレコード
入社
[
1
]
。
1994年
-
ソニー・ミュージックエンタテインメント
入社。
テクノ
部門を設立。
1997年
-
ベルギー
R&Sレコーズ
へ出向。
1998年
-
ワープ・レコーズ
窓口として
ロンドン
勤務。
2001年
- ソニー・ミュージック退社。ロンドンおよび
渋谷
にて
クラブミュージック
専門レーベルThird-Ear創業。
2010年
- Third-Ear Japanをユーマ株式会社(U/M/A/A株式会社)へ改組。
2012年
- 株式会社Pinc設立。
人物・その他エピソード
大学時代には
テクノ
、
パンク
、
ヒップホップ
など4つの
バンド
を掛け持ちし、GINGER BOYSというバンドで『
三宅裕司のいかすバンド天国
』(
TBS
)に出場した
[
2
]
。
吉祥寺
の
レンタルレコード
店SHOP33のアルバイト時代には、後に
パリコレ
や
ロンドン・コレクション
にも参加するファッションブランドTOGAやJURIUS、当時ヒロポンファクトリー名義で活動中の
村上隆
や映画『
AKIRA
』作画監督の
森本晃司
といったアーティストとの交流があった。
1990年の大学卒業後には心酔する
イエロー・マジック・オーケストラ
(YMO)を生み出した
アルファレコード
に入社。洋楽部にて
イギリス
の
Beggars Banquet
や
Depeche Mode
がいた
Mute Records
、
JIVE
など
ダンス・ミュージック
のプロモーションを担当した。
1994年にソニー・ミュージックエンタテインメントに転職し、海外のテクノミュージックを日本で浸透させると同時に、日本のテクノ系アーティストを育てるディレクターとして活躍。ワープレコード、R&Sレコーズなどの作品リリースや、
ケン・イシイ
、
BOOM BOOM SATELLITES
などを担当し、
電気グルーヴ
の海外戦略にも携わる。7年間で200タイトルをリリースした。
一番印象に残る仕事として、映画『AKIRA』作画監督の森本浩司に制作を依頼したケン・イシイのMVが大ヒットしたこと。最も売れた作品は、映画『
トレインスポッティング
』に使用され
J-WAVE
でパワープレイとなった、
Underworld
の「
Born Slippy
」と述べている
[
3
]
。
1997年にベルギーのR&Sレコーズとの
ジョイントベンチャー
がスタートし、
ゲント
にあるR&Sレコーズへ出向するも、両社の経営方針の違いから契約が見直された結果、1年後に帰国となる
[
4
]
。
ベルギーからの帰国後すぐにロンドンにて、SHOP33時代からの友人でもあるBOOM BOOM SATELLITESのファーストアルバム制作やワープレコードの業務に携わった。
2001年、ソニー・ミュージックエンタテインメントを退社し、ガイ・マクリーリと共にクラブミュージック専門のレコード会社Third-Earをロンドンと渋谷を拠点に設立した
[
5
]
。
スペイン
・
バルセロナ
の音楽イベント
Sónar
を「Sónar Sound Tokyo 2002」として都内で開催した
[
6
]
。
渋谷にあったクラブ「セコ・バー」でYMOの
細野晴臣
と
高橋幸宏
による
スケッチ・ショウ
のシークレット・ライブをセッティングした縁から、バルセロナの「Sónar 2003」とロンドンの「Cybersonica 2003」にスケッチ・ショウをブッキングし、取り仕切った
[
7
]
。
2004年には
坂本龍一
も参加し、
Human Audio Sponge
(HAS)というユニット名で、1993年のYMO再生ライブ以来11年振りとなる3人でのライブをバルセロナの「Sónar 2004」および「Sónar Sound Tokyo 2004」にて実現した。
2007年、YMOの曲を
初音ミク
でカヴァーした『
Hatsune Miku Orchestra
』(HMOとかの中の人。)をThird-Ear Japanよりリリース。
VOCALOID
という新たなムーブメントの気配を感じ取ったことをきっかけに、2010年にThird-Ear Japanの株式を買い取る形で独立した。
DECO*27
や
sasakure.UK
といった新世代のアーティストとの出会いもあり、
アニメ
や
ゲーム
など、さらに幅広いフィールドに音楽を繋げていきたいという意味で社名をU/M/A/A Inc., United Music and Artists(ユーマ株式会社)に変更した。
2023年、アーティストのルー・ビーチ氏が、YMO世界デビュー時のワールドワイド版ファースト・アルバムのジャケットとして作成したアートワークを洋
金箔
の上に施した、
NFT
証明書付き作品「TechnoByobu(テクノ
屏風
)」を発売
[
8
]
。
脚注
[
脚注の使い方
]
^
八木 良太『音楽で企業する 8人の音楽起業家たちのストーリー』株式会社スタイルノート、2020年4月30日、84頁。
ISBN
978-4-7998-0184-0
。
^
八木 良太『音楽で企業する 8人の音楽起業家たちのストーリー』株式会社スタイルノート、2020年4月30日、85-95頁。
ISBN
978-4-7998-0184-0
。
^
“
@PROFESSIONAL USERS クリエイターズインタビュー by LAVA
”.
2023年11月14日
閲覧。
^
八木 良太『音楽で企業する 8人の音楽起業家たちのストーリー』株式会社スタイルノート、2020年4月30日、96-100頁。
ISBN
978-4-7998-0184-0
。
^
八木 良太『音楽で企業する 8人の音楽起業家たちのストーリー』株式会社スタイルノート、2020年4月30日、101-104頁。
ISBN
978-4-7998-0184-0
。
^
八木 良太『音楽で企業する 8人の音楽起業家たちのストーリー』株式会社スタイルノート、2020年4月30日、105-109頁。
^
『YMO1978-2043』株式会社KADOKAWA、2021年3月12日、195-198頁。
ISBN
978-4-04-109838-7
。
^
“
YMOの傑作ジャケットが金の屏風に。伝統とテクノの融合「TechnoByobu」
”. BRUTUS.
2023年11月11日
閲覧。
外部リンク
UMAA Inc.
p._nc: 株式会社 Pinc