庭田重資
庭田 重資 (にわた しげすけ) は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。 経歴左近衛中将、蔵人頭などを歴任し、建武4年/延元2年(1337年)参議。延文4年/正平14年(1359年)正二位、権大納言。 娘の源資子は崇光天皇の後宮にはいり、初代伏見宮栄仁親王を生んだ。これ以降、代々の庭田家の女子は皇室及び伏見宮家に仕え、嗣子をもうけることとなる。 皇族との関わり庭田家は、皇族との関わりが深い。というのも、先述の資子に続いて、栄仁親王の息子の貞成親王と結婚し、後花園天皇と伏見宮貞常親王(旧皇族11宮家の祖先)を産んだ幸子は庭田経有の娘である。また、後土御門天皇(後花園天皇の子)と結婚し、後柏原天皇を産んだ朝子は庭田長賢の娘で幸子は大叔母にあたる。現在の皇族にもその系譜は続いている。 系譜参考文献 |