平賀元相
平賀 元相(ひらが もとすけ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての国人領主で戦国武将、長州藩士。安芸国の戦国大名毛利氏の家臣。 生涯永禄10年(1567年)に父の広相が死去すると家督を継いだ。毛利氏が最大勢力を築いていた頃には、平賀氏の所領も最大となり1万8,000石ほどを領する規模まで成長していた。また陪臣の身ではあったが豊臣秀吉に気に入られ、文禄5年(1596年)5月12日に従五位下に叙位され、豊臣姓を下賜された。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍に味方して敗北し、毛利氏が防長2ヶ国に減封となると、平賀氏もそれに随行して移住し、所領も4,000石に削減され大幅な減封となった。所領が大幅に減ったため、元相はそれに苦悩して翌年の慶長6年(1601年)に家禄を返上して上洛、京都での隠棲生活に入った。 後に元相の嫡男・平賀元忠が300石の毛利氏家臣として復帰した。なおも京都に住み続けた元相であったが、寛永13年(1636年)に孫の平賀就忠からの要請を受けて萩に戻り、当時としては大変に長寿の99歳で大往生を遂げた。 平賀氏は元相の後も毛利氏の家臣、長州藩士として続いた。 参考文献 |