常福寺 (島根県西ノ島町)
常福寺(じょうふくじ)は、島根県隠岐郡西ノ島町にある真言宗東寺派の寺院。 西ノ島町は、島根県北部、隠岐諸島の西ノ島に所在する。面積56.05平方キロメートル、人口3,161人(平成24年5月1日現在)。 隠岐郡内では隠岐の島町に次いで2番目に大きな町である。 常福寺の縁起
大原山常福寺大原山常福寺は、人皇52代嵯峨天皇御宇に、弘法大師が諸国修行の時に当国へ渡海した際に建てられたとされています。その後、長門守が修復を加えたと言われています(隠岐国住古旧記より引用)。しかし、弘法大師が渡海した証拠はなく、これは古さを強調するための推測である。 復興隠州視聴合紀によれば、「山の中に城福寺というものがあった」とあります。これは、人家から八丁ほど登った勇儀山の中腹、眺望の良い地にあったということです。 明治2年に廃寺となりましたが、同12年6月2日に再興の許可を受けました。ただし、無住で、住職は長福寺の大野明演師が兼務していました。同12年6月に許可を得てから12年間は無住でしたが、同24年7月に中院工事が完成し、古来の過去簿も不明確だったため、同26年を復興としました。 明治26年巳年7月中院、「真言宗大原山中興開山河村大忍」と寺記にあります。これは、明治20年代に河村師が入山し、本格的な復興と教化に努められたことを示しています。現在、常福寺奥ノ院と称している場所には小堂(1間半・2間)があったと言われています。これは河村師が復興したものである。 次いで、大塚欽龍師が入山し、同師の手によって明治38年に現在の地に新築されました(昭和47年に口村慈光師によって再建築)この大塚師は大正9年に入寂されましたが、かなりの実績を残した人物でした。長福寺住職照海明龍の書信によれば、「常福寺住職大塚欽龍上人は真に僧侶らしい人物であった云々」と評されています。明治44年には授戒を行い、これに必要な仏具を備えました。八祖大師掛絵や両界曼荼羅なども今日まで残されています。 昭和27年に口村慈光師が入山後、常福寺旧寺を奥ノ院と称し、段々と整備しました。昭和35年には西ノ島町役場の旧建物(5間・6間)を購入し、さらなる整備を行いました。また、山内に経蔵を設け、旧山王社に奉納された大般若経を収納保存しました。 大般若経中世と近世の2種類の大般若経が収められています。どちらも西ノ島町指定文化財です。識語で最も古い年紀は正応2年(1289年)です。 ※識語…その本の来歴や書写の年月・氏名などを記したもの。 仏像
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