市野瀬潜

市野瀬 潜(いちのせ ひそむ、1879年4月25日 - 1948年12月6日)は、日本の実業家日本新薬社長、会長を務めた。大分県出身。

経歴・人物

大分県南海部郡明治村(現在の佐伯市)出身[1]1897年私立薬学校(現在の東京薬科大学)を卒業し、神戸税関での勤務を経て、1903年に織田自然堂の支配人に就任した[1]

1911年に京都新薬堂として独立し[2]1919年日本新薬が設立した際には、専務に就任した[3]1929年7月に代表取締役に就任し[4]1936年7月に取締役社長に就任し[5]1946年7月に取締役会長に就任した[6]京都商工会議所常議員も務めた[7]

脚注

  1. ^ a b 日本新薬六十年史 p550
  2. ^ 日本新薬六十年史 p50
  3. ^ 日本新薬六十年史 p554
  4. ^ 日本新薬六十年史 p556
  5. ^ 日本新薬六十年史 p558
  6. ^ 日本新薬六十年史 p563
  7. ^ 人事興信所 1939, い253頁.

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年。