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この項目では、かわしま いとこ について説明しています。かわしま きこについては「文仁親王妃紀子」をご覧ください。 |
川嶋 紀子(かわしま いとこ、1907年2月11日[1] - 2002年12月10日)は、大阪市長・池上四郎の六女で、内閣統計局長・川嶋孝彦の妻、文仁親王妃紀子の祖母。小室眞子、佳子内親王、悠仁親王の曾祖母に当たる。京都大学名誉教授池上惇は甥である。
生涯
1907年、当時大阪府警察部長であった池上四郎と妻・浜の六女として大阪市で生まれた。1913年、父・四郎が大阪市長に就任した。1923年に大阪府立清水谷高等女学校を卒業。1927年に茨城県保安課長(当時)の川嶋孝彦と結婚。子供は、学習院大学名誉教授の辰彦(次男)、東京国際大学教授の行彦(三男)等。
秋篠宮文仁親王妃紀子は孫(辰彦の長女)にあたるが、こちらは「きこ」と読む。川嶋家は和歌山県(紀州)が本籍地であること、祖母に似ていたことから、祖母のような女性になってほしいという願いからつけられたなどといわれる。紀子妃自身も祖母思いであったことが知られている。
孫・紀子と文仁親王の成婚直前の1990年6月には、孫娘への愛情と皇室への畏敬あふれる見事な候文の手紙をしたためたことが知られる。
逸話
- 趣味の一つは、雲を題材にした風景画を描くこと。知人である矢野ヨハンのギャラリーに数千枚の絵を寄贈した。それらが元となり、1993年に山梨県北杜市に「川嶋紀子雲の絵美術館」がオープンした。館長は創価大学出身の相馬瑛子。
- 孫の紀子妃所有の扇には、彼女が描いた「檜扇菖蒲」(紀子妃のお印)があしらわれている[5]。
系譜
脚注
- ^ 『人事興信録 第19版 上』(人事興信所、1957年)か110頁
- ^ 家庭画報2009年1月号
参考文献