川崎宗則 (陸軍軍人)
川崎 宗則(かわさき むねのり、1849年(嘉永2年7月[1]) - 1931年(昭和6年)1月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴のちの鹿児島県出身[1][2]。1885年(明治18年)6月、歩兵第7連隊長、1886年(明治19年)5月、歩兵第14連隊長、1888年(明治21年)3月、歩兵第13連隊長、1889年(明治22年)5月、歩兵第16連隊長を歴任し、1890年(明治23年)11月、陸軍歩兵大佐に進む[2]。1891年(明治24年)9月、予備役に編入するが、1904年(明治37年)4月に召集を受け留守歩兵第10旅団長に任じ、1906年(明治39年)4月、陸軍少将に進級と同時に後備役に編入した[2]。 脚注参考文献
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