川上三太郎川上 三太郎(かわかみ さんたろう、1891年1月3日 - 1968年12月26日[1])は、日本の川柳作家。「川柳六大家」の一人。東京の日本橋出身。本名は幾次郎、別号は蒼蒼亭(そうそうてい)、S・S・T[1]。 略歴東京市日本橋区蠣殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)出身[2]。1911年に大倉高等商業学校(のちの東京経済大学)を卒業し[2]、大倉洋行に入社[3]。退社後、1920年に東京毎夕新聞社に入り、学芸部長などを務め、1927年退社[2]。 13歳から川柳を作り、井上剣花坊に師事した[2]。1929年に『國民新聞』の選者になり、1930年に国民川柳会を結成し、機関紙「国民川柳」を発刊[4]。1934年には国民川柳会を川柳研究社に[1]、「国民川柳」を「川柳研究」に[4]名前を改める。新聞・ラジオなどでも川柳の社会普及に努めた[2]。 1966年第1回川柳文化賞を受賞[2]。1966年紫綬褒章受勲[2]。 岸本水府、前田雀郎、村田周魚、椙本紋太、麻生路郎とともに「川柳六大家」と呼ばれた[3]。 著書
共編
伝記脚注 |