島田仁郎
島田 仁郎(しまだ にろう、1938年〈昭和13年〉11月22日 - )は、日本の裁判官。第16代最高裁判所長官を務めた。東京大学名誉教授・英文学者の島田太郎は兄、明治大学教授・物理学者の島田徳三は弟に当たる。 概要名古屋地裁判事在任中に高田事件では裁判の左陪席判事を担当し、異例の裁判の打ち切りを決めた判決の起草を担当した[1]。東京地裁判事在任中にはロス疑惑の三浦和義の刑事裁判を初公判から数十回の審理を担当した[2]。 2006年10月の最高裁長官就任にあたっては、裁判員制度のスタートを3年後の2009年に控えていたことから刑事裁判に詳しい島田が適任と判断された[3]。 長官就任直後の新人判事補へ辞令を交付した場での挨拶として「裁判官は人に批判されることが少なく、裸の王様になりやすい。初心を忘れず、謙虚に、人の心の痛みがわかる人になってほしい」とあいさつした[4]。 2008年11月21日に長官を退官するにあたっての同年11月17日の退官挨拶では「迅速、適正な裁判と、身近で利用しやすい裁判所の実現に向けて努力してきた。まだ十分とは言えないが、両方とも相応に前進したと思う」と、また長官在任中に印象に残った事件として同年6月に婚外子国籍訴訟で父親から生後認知を受けた婚外子について父母が婚姻しなければ日本国籍を取得できないとする規定を違憲とした大法廷判決を挙げ、「違憲立法審査権の重みを、身をもって実感した」と語った[5]。 退官後に作家の夏樹静子の「裁判百年史ものがたり」を読み、山一証券代理人弁護士夫人殺人事件について夏樹との対談で「読ませていただいて、自分の不明を恥じる気持ちになりました。自分の裁判では被害者の気持ちを十分酌んできたつもりでしたが、そんな甘いものではないと思い知らされました。被害者とその遺族の気持ちを代弁するのは検察官の役割で、被害者や遺族には証人としての証言や上申書提出で十分と思っていました。また、被害者を裁判に参加させて当事者として発言を許すのは、裁判の中立公正な運営を乱す恐れがあり、決して好ましいことではないと思っていました。しかし、被害者に出てくる岡村勲弁護士の実体験を読んで、考え方が変わりました。岡村弁護士らの努力によって(2004年に)犯罪被害者等基本法が成立したことは本当によかったことと思っています」と述べている[6]。 略歴
最高裁判所判事時代における判決の対応憲法判例に対する対応
反対意見
脚注出典参考文献
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