岡部親綱
岡部 親綱(おかべ ちかつな、生年不詳 - 永禄5年(1562年))は、戦国時代の武将。駿河の大名今川氏の家臣。通称・左京進、出家して玄忠。岡部泰綱の雲孫の曾孫にあたる。 経歴今川氏輝の側近であった。氏輝没後の天文5年(1536年)花倉の乱に際しては栴岳承芳(今川義元)方に味方し、方ノ上城・花倉城(史料上は「葉梨城」)を攻撃、落城せしめるなど大いに戦功を上げ、今川義元より感状を送られたという[1]。 脚注
参考文献関連項目 |
岡部親綱
岡部 親綱(おかべ ちかつな、生年不詳 - 永禄5年(1562年))は、戦国時代の武将。駿河の大名今川氏の家臣。通称・左京進、出家して玄忠。岡部泰綱の雲孫の曾孫にあたる。 経歴今川氏輝の側近であった。氏輝没後の天文5年(1536年)花倉の乱に際しては栴岳承芳(今川義元)方に味方し、方ノ上城・花倉城(史料上は「葉梨城」)を攻撃、落城せしめるなど大いに戦功を上げ、今川義元より感状を送られたという[1]。 脚注
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