山路修
山路 修(やまじ おさむ[2]、1929年8月31日[2] - )は日本の元サッカー選手。ポジションはDF。 経歴神戸一中(現、兵庫県立神戸高等学校)を経て早稲田大学卒業。 日本代表としても1953年から1954年までプレーし、1954年ワールドカップ・スイス大会予選の1954年3月7日の韓国戦の1試合目で国際Aマッチ1キャップを記録した[1]。 1953年には日本学生選抜に選出され、ドイツのドルトムントで開催された国際学生スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に参加した[3]。この代表には長沼健や岡野俊一郎といった、将来の日本サッカー界を担う人材が数多く参加していた。 大学卒業後は住友金属に入社するが、川本泰三や岩谷俊夫を中心に結成された大阪サッカークラブに参加。1951年、1952年、1953年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)において3年連続準優勝に貢献した[3]。 所属クラブ代表歴出場大会
試合数
出場
参考文献
外部リンク
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