山田渉
山田 渉(やまだ わたる、1966年(昭和41年)12月10日 - )は、日本の元ボクサー、陸上自衛官。駿台学園高校、拓殖大学卒業。 経歴・人物駿台学園高校在学中、都立農業高校で1学年下だった高橋直人(後の高橋ナオト)に2戦2勝だった。 高校卒業後はプロになるつもりだったが、監督に大学進学を勧められ、拓殖大学在学中に、2年後輩の瀬川設男とともに1988年ソウルオリンピック日本代表に選ばれ、フェザー級に出場し、2回戦敗退した[1][2]。 全日本選手権では3階級制覇を達成。 1992年の全日本選手権では決勝で三谷大和に敗れ、これがラストマッチに。 引退後は自衛隊体育学校監督も務めた。 弟の山田茂も元アマチュア選手で後に駿台学園の監督を務めた。1男2女の父で、次女の山田夏冴はプロボクサー[3][4]。元東洋太平洋スーパーバンタム級王者の勅使河原弘晶は娘婿(夏冴の夫)。 脚注
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