山本琢也 (アナウンサー)
山本 琢也(やまもと たくや、1968年3月6日 - 2008年1月4日)は、九州地方を中心に民放で活躍したアナウンサー。血液型はO型。 生涯神奈川県横浜市出身。日本大学櫻丘高等学校、明治学院大学法学部を卒業後、1992年に開局して日が浅かった福岡県のTXN九州(TVQ、現・TVQ九州放送)にアナウンサーとして入社。川上政行(現・フリー)とともにニュース、プロ野球中継などを担当した。 1998年、TVQを辞め関東に戻り、TOKYO FM(TFM)に移籍[1]。TFMではシドニー、ソルトレークシティ両オリンピックの取材を担当した。 2002年再び九州へ戻り、テレビ熊本(TKU)に移籍、ここでは報道専門となった。2005年に「FNSアナウンス大賞・ナレーション部門」を受賞する。 2008年1月4日、クモ膜下出血のため39歳で急死。死去は担当していた番組で伝えられた。 エピソードテレビ熊本に遺されている「1番」のヘルメットは山本の遺品で、のちに同局アナウンサーの熊本竜太に引き継がれており、熊本は「(山本さんを)現場に『連れて行ってあげます』」「守ってください」の念を込め、敢えて「山本」のネームシールをそのままにしているという[2]。 出演した番組TVQ
TFMTKU
出典
関連項目
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